明智光秀生誕の地

 

明智光秀生誕地の由来

光秀の出生地として挙がるのは、可児市、恵那市、瑞浪市、山形市、そしてここ大垣市上石津町です。

大垣市上石津町の多良地区が生誕の地と思われる資料をご紹介いたします。

 

明智一族宮城家相伝系図書(東京大学史料編纂所)

 明智光秀の実母は、明智家当主「明智光綱(光隆)」の妹です。
その実母が石津郡多羅に嫁ぎ、居城としていた進士信周の嫁となりました。
しかし実家、明智家当主の兄に子がなく、自分の次男を兄の養子として渡しました。
その養子が明智光秀だとされます。

「明智系図」(『続群書類従』(塙保己一著)

 光秀は明智光隆と妻との間に生まれ、その出生の地は美濃多羅城。光秀の出生の地は多羅城と書かれています。

 

 

城ケ平城跡 You Tube

大垣市観光協会制作の動画です。

ぜひご覧ください!

山城(城ケ平)多羅城の入り口です。

Googleマップが開きます。

上石津郷土資料館の地図です。Googleマップが開きます。



山城(城ケ平)多羅城入り口 晴明神社付近

 

車で直接お越しの際は

 Googleマップ Yahooナビで

「岐阜県大垣市上石津町宮 晴明神社」 で検索してください。

または、上石津郷土資料館へお越しいただければ、明智光秀や多羅城に関連する資料などの展示もあり、ボランティアによるご案内(事前予約必要)もあります。


扉を開けると杖がありますので、ご利用ください。

お帰りの際はお戻しください。

 

猪や鹿などの防護柵で囲まれています、扉は必ず閉めてからお進みください。


整備はされていますが、きつい段差が続きます。ゆっくり歩いて5分ほどで、左の看板が見えてきます。

この看板を右手に入り、黄色い紐に沿って登っていってください。

途中行き止まりかと思われますが、黄色い紐を頼りにお進みください。

手すりがございませんのでお気を付けください。



6 現在地

馬瀬・羽ケ原の看板を

入ったところにあります。

1 虎口跡

城の入り口

2 横堀跡

敵を撃退するための堀



3 縦堀跡

侵入した敵を

追い落とす堀

4 櫓台跡

やぐらだい

5土塁跡

敵を撃退するための盛土

井戸跡



山城を下り

次は羽ケ原方面へ向かいましょう

丸太の橋を渡ると

視界が開けてきます。

天気が悪いと足元がぬかるんでいます。ご注意ください。

突き当りを右に

行きますと

観音寺跡→の看板が

 

観音寺跡

看板を右の坂を上り詰めたところにあります。

次は後方

経塚に向かいましょう



経塚に向かう途中

右手奥に

北高木家の墓石群があります。

北高木家墓石群 立札

一人1つの墓石とあり

沢山並んでいます。



観音寺経塚

法華経護法神出現の霊地とされています。

 

北高木家の菩提であった観音寺は昭和45年に焼失し、寺は宮に再建されました。

山城跡→

経塚→

ここを左手に曲がると

馬瀬からの入り口に出ます。




①上石津郷土資料館

 


②西高木家陣屋跡

多羅城候補の一つ


③東高木家土蔵

 


④正林寺 西高木家墓石

 



⑤勝地番所跡

 


⑥浄徳寺 東高木家墓石

 


⑦本堂寺

東高木家墓石群


⑧山城跡

多羅城候補の一つ



⑨北高木家墓石群

 

⑧の山城からお進みください

 


⑩観音寺跡

 

⑧の山城からお進みください 

 


⑪観音寺経塚

 

⑧の山城からお進みください

 


⑫三輪内助入道の墓

 



⑬瑠璃光寺

 


⑭島津豊久の墓

 


⑮白拍子谷

島津豊久自刀の地


⑯大神神社社叢